第2節 存在論的不安――「語り」の可能性

3-2-1.後期近代における存在論的安心

哲学者中島義道は、《哲学の問いは、問いを発するこだわりのレベルにおいてもろもろの個別科学の問いとは区別されます》(中島[1995:111])といっている。哲学の目的は、世界に関する客観的な知識を得ることではない。それは物理学、社会学、心理学、言語学……などの諸科学の扱う仕事であり、哲学の課題ではない。哲学はこうした科学の成り立ち、有効性、可能性を問うのである。科学は、実在するものを客観的に観察するが、哲学は「実在する」とはいかなることか、と問いをたてるのである。

しかし、ここで「諸科学」の内に入れられている社会学は他の科学とは事情が異なっている。まず、あらゆる科学は観察対象と観察者の位置が隔たっていることを前提として成り立っている。物理法則の観察は、(普通は)その物理法則に影響を与えない。しかし社会的事象の観察は、それ自体が社会的なものであり、社会的事象にフィードバックされることがありうる。人間の行為は概念的に了解されながら行われるのであり、行為者の自己了解は社会学者による観察と性質を異にしない。社会学者は、社会的行為者が自己了解するのと同様に観察するのであり、行為者は、社会学者のように観察しながら行為を行う。あらゆる行為がなんらかの知識を前提になされるものだとすれば、社会的行為は、社会学的知識を前提にしてなされている。

さらに、行為が知識を前提とするということ自体が、社会学の観察対象になりうる。哲学者が存在するということそのものを疑問に付すとすれば、社会的行為者は、存在するものについての(客観的)知識を前提する科学者であるのと同時に、その知識を成り立たせている前提そのものをも観察しようとする哲学者でもある。前節の終わりの方で、「自己投影的な棄却」という精神分析学用語を用いたが、そのような語を用いる利点は、ラベル(知識)と観察対象を切り離したラベリング理論からさらにすすんで、観察対象と観察者を密接に結び付けることができる点にある(下図)。観察対象と観察者を同時に産出されるものとしてとらえるとか、観察対象は観察者に含まれるとかいってもよいだろう1

このような洞察は、社会学が後期近代とよんできたような時代になって、一般化したものである。後期近代においてわれわれは、まず、以前と同様、観察者として対象を観る。しかし次に、他の観察者が自分とは違う観察を行うことをも観ることになる。後者の観察を〈二次的観察〉あるいは〈反省〉とよぶことにする。この後期近代の二次的な観察によって、シンギュラリティへの「気づかい」も育まれることになったのである。

社会学が他の諸科学と異なっているのは、このように、たんに対象を客観的に観察するだけでなく、観察者を観察することで得られた知識に基づいて観察(行為)する者を観察し、さらに自己の観察を観察する者をも観察する科学である点である。さらにいえば、このような社会学的態度そのものが、社会学が観察しようとする近代人の基本的な生活態度であるのだ。後期近代の問題とは、したがって社会学的な問題であり、人々は社会学的洞察と密接に関わりあっている。かつてなら哲学者か文学者ぐらいしか直面せずにすんできた問題に、われわれは日々直面させられているといえる。

他者は自分と違った観察を行う、という状況は、前期近代から後期近代への移行期に盛んに論じられた〈ポストモダン〉という有名なタームによって表現された事態によく似ている。ジャン=フランソワ・リオタールが'79年『ポストモダンの条件』で提起したポストモダン論の大意は次のようなものだ。近代化という〈大きな物語〉によって、〈近代社会〉という一つの身体は統合されてきた。この〈物語=歴史〉が終焉を迎えると、世界は相対的に断片化し、〈小さな物語〉のつながりのない集合となるだろう。コンセンサスにかえてディセンサスが到来する……。

しかし本稿では、近年の社会学の議論を受け入れ、これはむしろ近代の徹底、近代社会の成熟であるととらえたい。この変化によって、近代過渡期が想定したような〈社会〉、社会科学者なりオピニオン・リーダーなりが最大公約数的なキャッチ・フレーズで代表させて事足りたような一枚岩的な社会概念を、社会理論そのものから破棄することを要求したのである2 。《われわれは、ポスト・モダニティの時代に突入しているのではなく、モダニティのもたらした帰結がこれまで以上に徹底化し、普遍化していく時代に移行しようとしているのである》(Giddens[1990=1993:15])。

ルーマンのシステム論が、〈閉鎖性〉と〈自律性〉によって特徴づけられるシステム3 をあつかうものであること、他者というものに対する態度の変更をうながすものであることは第2章ですでにみた。このような〈閉鎖性〉と〈自律性〉の性質について、たとえばスラヴォイ・ジジェクは哲学の例をあげてこういっている。

哲学を使って考えてみよう。(…)ある中立的な哲学の観念があって、それが分析哲学とか解釈学とかへ分割されるというのではない。個々の哲学はすべて、それ自身とその他すべての哲学(に対する見解)を包括している。もしくは、(…)すべての重要な哲学はある意味では哲学の全体である、つまり、〈全体〉の小区分ではなく、ある形式を用いて〈全体〉そのものをとらえたものなのだ。(…)一つの〈普遍〉がすべての特殊の内容を包括するのではない。なぜなら、一つ一つの〈特殊〉がそれ自身の〈普遍〉をもっているからだ。つまり、各々が、全体の領域を見通す特定の視野を有していることになる。(Zizek[1994=1996:256])

この引用は、観察者と世界との関係を正確に表現している。観察者は、世界をひとつのものとして観察するが、他の観察をも観るため、複数の世界を観ることになる。そこでは、特権的な、統一された、唯一の、実在する〈世界〉というものが失われているのだ。かつては、統一されたひとつの〈世界〉の中で、人々は自己の位置を知り、同時に〈世界〉を隅から隅まで知り尽くすことができた(あるいはそのような幻想をみることができ、そのような幻想にとりつかれた)。マックス・ウェーバーによれば、

古代の農夫たちだとかは、みな「年老い生きるに飽いて」死んでいったのである。というのは、かれらはそれぞれ有機的に完結した人生を送ったからであり、またその晩年には人生が彼らにもたらしたものの意味のすべてを知りつくしていたから(…)である。しかるに文明人は(…)「生きるを厭う」ことはできても「生きるに飽く」ことはできなくなる(…)かれらにとっては、死はまったく無意味な出来事でしかない(…)。(Weber[1919=1936:34-5])

ここで「文明人」が宿命づけられている〈不安〉を、〈存在論的不安〉とよぼう。存在するものが存在するといえるのに、かつてのように、メイン文化のナラティヴ(大きな物語)や、統一されたひとつの世界の中での位置づけは頼りないものになってきた。哲学者が〈存在〉という事実に対して向けた疑いの眼差しを、感情的なレベルで持つことになってしまったのだ。この〈存在論的不安〉という語は、アンソニー・ギデンズのいう〈存在論的安心〉の対義語である。《この存在の本質に関する安心とは、ほとんどの人が、自己のアイデンティティの連続性にたいして、また、行為を取り囲む社会的物質的環境の安定性にたいしていだく確信をいう》(Giddens[1990=1993:116-117])。哲学者は存在の本質を疑問に付すが、哲学者の感情が存在論的に不安な状態に常におかれているわけではないだろう。しかし、このような疑念を、観念的にではなくたえず自分の行為と関わらせて抱く人々にとっては、存在論的不安は感情的な現象である。

この社会において、無意識のレベルで感情的に存在論的不安に直面させられている人々は、それほど多くはないかもしれない。それは文明人全体を覆う漠然とした不安であることは確かだが、それでもやはりいくつかの社会的に承認された「メインの」ナラティヴ(それは主に経済的・物質的基盤を持っている)は存在するのであり、多くの人々はそのなかで自己を一貫させ、生活を安定的に回顧している。本稿では、そのようなナラティヴからは疎外されていて、自己の存在を一貫した安定的なものとして把握しにくい立場におかれた存在として、セクシュアル・マイノリティをとらえたい。そこで、本節ではアカーがおこなっている同性愛者のライフ・ヒストリーの語りの実践をとりあげる。この事例は、存在を本質的なものととらえることができなくなった後期近代的な主体のありかたについて、典型的なモデルを示すと思われる。

3-2-2.安全な場

アカー編集の『ゲイ・スタディーズ』のなかで、アカーがライフヒストリーを語る実践を行うようになった経緯が、詳しく紹介されている。アカー(動くゲイとレズビアンの会)は、1990年、東京都教育委員会による「府中青年の家」宿泊利用拒絶に対し、問題を法廷に持ち込むことを決めた。ホモフォビアと戦うことをパブリックな問題にした、画期的な決定である。この法廷闘争において彼らが直面した問題が、同性愛者に対する差別と、自分たちが経験してきた抑圧をともに語る言葉を持っていないことだった。この事件をきっかけに、彼らはライフヒストリーを語る実践の中から、同性愛者差別の現実と個人的な経験とを明確に言語化していくことに取り組みはじめた。

同性愛者たちが「わたし」を主語に物語を語るということは、この異性愛主義社会の中で「語られる」存在であったものが、自らを主人公にした物語を生き、自らの手に〈存在〉を取り戻す試みである。「わたし」が主語の物語を生きることは、この世界に居場所を獲得することであり、主体となることとその形成の場所の構築は同時に行われることである。異性愛者であることが自明である社会のナラティヴは、それが自明であるがゆえに「メタ・ナラティヴ」として、あらゆる語りの背後に暗黙の内に前提とされるような構造を備えている。だが、(その内部に回収することで)メタ・ナラティヴから外部として排除され、逸脱のスティグマを付与される同性愛者は、その「自明性」をいやおうなしに内面化しながらも、常に疑いの眼差しを向ける準備ができている。自分の経験している現実を解釈するのに、メインの物語はしっくりくる準拠枠とはならなかったからである。

じっさい、風間孝によれば、語っていく中で、メンバーどうしのライフヒストリーに共通点が見い出されるようになったという。それはたとえば、《自分の性的指向に気づくことの困難さ、同性に惹かれることに気づいたあとの孤立感と疎外感(…)、同性愛者を嘲笑し嫌悪する周囲のまなざし、異性愛を前提とする思考様式》(ヴィンセント他[1997 :188])などである。これらの共通した体験をお互いに発見していくことによって、同性愛者が直面している問題が、個人的なものではなく社会的・政治的なものであるという認識を育むことができた。「個人的なことは政治的なことである」というフェミニズムのスローガンが、アメリカの初期の女性解放運動によるCR(Consciousness Raising 意識覚醒)のアプローチから生まれたのと同様、自らを「語る」には、準拠枠を提供し、支持し、支えあうコミュニティが準拠集団として必要なのだ。

アカーのライフヒストリーのセッションは、通常4~8人の小グループで行われる。もちろん、同性愛者どうしだからといって、はじめからすべての「語られるべき現実」が言葉にして語り合われるわけではない。このセッションに参加する以前の同性愛者はほとんど、それまでずっと異性愛主義社会の中で孤立して生きてきたのであり、異性愛主義的な準拠枠しか参照するものがなかった以上、ホモフォビアは同性愛者自身にも強く内面化されている。たとえば参加者のA氏は次のように述べる。

「ゲイというのが自分のなかで理解されていなくて、いつかこの人たちは女装をするんじゃないか、実は表面上はこうだけれども、慣れていくうちに化粧や女性の服を着はじめるんじゃないかというのがずっと心の中にあったので、自分のライフヒストリーを話すのに抵抗があったのだと思います。」(ヴィンセント他[1997 :189])

同性愛といえば女装や化粧、女性的な男、オカマ、女男……というのは異性愛主義社会で与えられた解釈枠組みだ。また異性装者に対する嫌悪も、それまでに内面化させられてきた《体系的な誤認》[ibid.]なのだ。ライフヒストリーを語ることは、過去の心理的外傷や「思い出したくないこと」に再び直面させられることでもある。それらの体験は、「内面化されたホモフォビア」によって意味付けされているため、そもそも語りにくいことであり、彼らは沈黙あるいは忘却を強いられてきた。このような困難があるため、セッションのはじめの数カ月間は、他の同性愛者との信頼関係を構築し、内面化されたホモフォビアを解きほぐす期間にあてられるという。

ライフヒストリーを語ることは、自分の体験した出来事を物語の形式で叙述し、ある準拠枠から意味付ける行為である。そのときに選択されるべき準拠枠は、同性愛者としてのそれである。だが、再三述べてきた通り、異性愛主義社会の準拠枠に慣れてきた者たちの「語り」は、容易に主語を取り替えられ、いつのまにか自分を軽蔑的にまなざす慣習の流れの中に回収されてしまう。そこで、そのような異性愛社会で刷り込まれたものの見方を解きほぐし、同性愛者としての声を獲得していくため、《社会からの否定的なまなざしをいったん猶予できる場、すなわちホモフォビアからの「安全な場(safe space)」》[ibid.:200]を創造しなくてはならない。アカーでは、カウンセリング概念でもある「仲間=ピア(Peer)」という概念を用いている。カウンセリングにおいて「受容」「無条件の肯定的配慮」は重要な基本的態度であるが、受容、無条件の肯定的配慮によって形成されたカウンセリングの場は、やはりクライエントにとって「安全な場」と感じられる。カウンセリングの入門書によれば、《クライエントは、経験していることを否認したり、歪めて意識したりしているが、この驚異のない場、安全な場において、そのような経験に直面し、それを受け容れ、同化していくことが容易になるのである》(佐々木正宏[1999:62])。

アカーの「安全な場」を提供するためのガイドラインにはいくつかのものがあるが4 、なかでも参加者を同性愛者に限定し、かつプライバシーを守ることで匿名性を持たないようにしている点が重要だろう。それはすなわち固有名において語るということであり、異性愛主義的なメタ・ナラティヴの内部において「わたし」一般に回収されてしまうことなく、「このわたし」のシンギュラリティにおいて語るということである。共通点を多く持った仲間たちのコミュニティで語ることは、共通性を認識することで自己を一般的なカテゴリーの中にいったんあてはめることでもあるのは確かだ。世界の中で居場所を得ること、名を持つこと、カテゴリーにおさまることはコンシャスネス・レイジングの最初の一歩であろう。だが、それとは対照的に、固有名を持って、何度も繰り替えし仲間との対面的な状況で体験を語ることは、相違点や多様性を認識することにもつながる。固定的な同性愛者像に縛られることなく、同性愛者としての自分を受容するとともに「このわたし」という固有の存在をも受容することができる。

このようなライフヒストリーの事例は、「語られるのを待っている現実」「客観的に語られうる要素・本質を備えた出来事」という観念を根本から否定する。ライフヒストリー研究を行う「実証主義の」社会学者は、イデオロギーにとらわれないで、中立の立場で客観的に出来事を記述することを理想とする。だが、この異性愛社会で「中立」で「客観的」に「語り、聞く」ことは、そのまま権力関係を反映してしまうことになる。「さあ、語りたまえ」といったタイプの、語りが行われる場に生じる権力の作用に敏感でないライフヒストリー研究者は、語り手の物語にその「語り手自身の声」を聞き取ることができないだろう。ケン・プラマーも、物語が語られる空間は社会的権力によって創造されたり閉鎖されたりすると述べている。物語は、「語られるのを待っている現実」「客観的に語られうる要素・本質を備えた出来事」を「伝達」するようなものではない。それは《政治過程の一部》(Plummer[1995=1998:51])である。権力とは、《人々の所有物ではなく、ゼロサムでもない》。むしろそれは《ひとつの流れ、過程、拍動とみなすのがもっともよい》[ibid.:52]ようなものだ。インタヴュアーはしたがって客観的で中立的な存在というよりも、もっと重要な役割をはたすものだといえる。語られた物語のうち、語り手の本当の声はどれなのか、慎重に吟味される必要があるだろう。《主体のストーリーよりも調査者のストーリーが優先していることが多いことさえあるのだから》[ibid.:59]。

3-2-3.物語の構築性

「過去、出来事、現実は、詳細に観察して適切に語れば、その真実を伝達することが可能である」という実証主義者の思い込みは、語られる現実に対する本質主義的な態度であるといえる。本稿ではそうではなく、出来事や現実といったものを言説によって構築されたものとする立場を取る。ライフヒストリーにとって、「沈黙」「語られなかったこと」の持つ意味は大きい。だが、実証主義者にとってそれはたんに「語りのがしたこと」「まだスポットのあてられていない事実」にすぎないだろう。下の左の図のように、出来事や現実はひとつの〈全体〉をなしており、それはいくつかの要素、〈部分〉に分割しうる。それは冷静に客観的に探っていけばすべてを明らかにしうるものだ。たとえ「語られなかったこと」があったとしても、それはなんらかの適切な方法を持って、いずれ語り尽くすことができる。

しかし、言説は現実をそのままコピーして伝達するようなものではない。語るものは、経験の全体を語る。語り手は、ひとりの観察者として、出来事や現実をなんらかの準拠枠の中に有機的に整理していき、物語として体系化する。そのとき語られた物語とは、なんらかの本質をそなえた「もの自体」(上右図の中央斜線部分)のコピーではなく、語ろうとする対象への見解・納得の仕方・態度などの全体であるのだ。当然このとき、実証主義者がひとつしか想定しなかった〈全体〉は、複数あることになるだろう(上右図)。「語られなかったこと」は、ある〈全体〉を選択したことによって必然的に生じる「他の可能性」(=他者性)であり、「沈黙」というパフォーマンスはひとつの選択として、はっきりと「語り」の全体を持っている。

このような言説の構築性──現実は客観的に定義できるような本質をもたないということの認識──は、アイデンティティの危機をまねく元凶でもある。セクシュアル・マイノリティの多くは、自己を規定する解釈枠組みが存在しないため、あるいはそれに違和感を感じるため、自分のセクシュアリティを自認することができないでいる。本稿第1章では行為に照準するソドミー概念から、行為を人格・アイデンティティに帰属するホモセクシュアル概念への転回を近代固有の現象としてみたが、ゲイ・アイデンティティというものを同性と性交渉を行うことから規定するのか、ホモセクシュアリティという内的な一貫性から規定するのか、そもそも定かではないのである。むしろゲイであることは、セジウィックがいったように《根本的に重複する言説の影響下に置かれることなのだ》(Sedgwick[1990=1999:122])。行為という偶発的に誰にでも起こりうることから定義することを、ホモセクシュアリティを「普遍化する見解」、内的・心理的一貫性から定義すること、つまり「ホモセクシュアルという人種がいる」とする見解を「マイノリティ化する見解」とセジウィックはよぶ(セジウィックは「構築主義対本質主義」という対立を疑似対立として退け、このふたつの見解の交錯として現状を分析している)。このふたつの言説が交錯している社会にゲイとして存在することは、自分はたんに同性としかセックスをしたことがない異性愛者ではないかとか、異性としかしたことがない同性愛者ではないかとか、つまりなんらかの原因で不安定なセクシュアリティを持っているけれども「本当の自分」はカウンセラーと相談の上見つけ出すべきどこかにあるのではないかとかいったような、不安定な状態におかれることを意味している。

だがたとえば志田哲之[1999b]は、ホモセクシュアル概念がそもそも定義が不可能であることを肯定的に踏まえたうえで、定義を探す方向ではなく《この宙吊り状態の中でいかにホモセクシュアルな人という存在が成立しているのか》という問いに方向を向けることを提案する。具体的には、カミングアウトの会話を分析するうえで、《〈ここ-いま〉の切片(スライス)》の中で人々がその文脈にあわせて、知識を資源としていかに説明を行うのか、文脈に応じていかに解釈を変えていくかに焦点をあわせている。「自分はゲイだ」というとき、そこで「ゲイ」がなにを意味しているかはそのつどの文脈、利用できる知識資源によっている。

志田は別稿で、《ある人が自らをレズビアン/ゲイであるか/ないかを解釈し、規定する際には、それまでアクセスしてきた社会的な領域にある、さまざまなローカルな資源を活用しながらそれを行うであろう》(志田[1999a:200])と述べる。たとえば首都圏や都市部には、知識資源がよりアクセスしやすく配置されているといえるだろう。志田が実際にインタビュー調査を行ったインフォーマントのMは、自分がホモセクシュアルであると明確に自己規定するようになったのは大学に入学して東京に出てきてからであるという。彼が初めて男性と性的な接触を持ったのは、中学3年の時に同学年の男子生徒とであったが、自分のしている行為が《ホモ行為であると思うけど、だからって俺はホモじゃないよ、みたいのところはあった》(志田[1998:251])と述べている。この時期に、彼はマスメディアに登場する女性的なしぐさや格好を売り物にする芸能人のことを知っていたが、その解釈資源はMにとって、自分はホモセクシュアルではないと自己規定する際に参照されるものであった。

このインフォーマントMの自己規定がゆらぐのは、高校の時に女子生徒と「つきあう」という関係になり、性的接触も持つが、違和感を感じるようになってからである。そのようなときに彼は、ゲイ雑誌をみつけ、《あ、これかも知れないってそんとき思った。でなんか、ふっとなんかちょっと氷が溶けたようななんか、そういう感じ》[ibid.:252]という経験をする。ゲイ雑誌に書かれていた言説は、それまで彼が触れることができた種類のものとはかなり異なるものであった。新しい言説に触れることで、自己規定の際に参照できる解釈資源に多様性が生まれ、自己規定にゆらぎが生じることになったのだ。彼は、ゲイ雑誌の文通欄を通じて知り合った人たちとの出会いや、大学のレズビアン/ゲイ・サークル、新宿二丁目などに通うようになり、ホモセクシュアルであることの自己規定を促す言説に触れていく。彼のホモセクシュアルとしての自己規定に役立ったのは、自らをすでにホモセクシュアルであると自己規定している人たちの言説であった。

このインフォーマントの例からもわかるように、《自己規定を行う際には、行為や出来事自体よりも、その社会的解釈領域から得られる言説のほうが重要》[ibid.:256]であるといえる。もちろん行為や出来事は、ある文脈のなかで生じるものであるから、それらも解釈資源として利用されうる。だが、個人が参照できる文脈は、その個人がアクセスできる範囲に限定されたローカルなものである。したがって、男性との性的接触を行ったとしても、その行為を解釈する文脈が、マスメディアにありがちな「女性的な男性=オカマ」のようなものしかない場合、その行為を解釈することができなくなるのである。


1 これは、夕暮れの山道で岩が人影に見えたとき、これを錯覚だとか幻影などととらえず《その人影はたしかに一刻そこにあらわれたのである。岩はたしかに人影にあらわれたのである。(…)この「誤り」は(…)真実に対しての誤りではない。それは真実の中での「誤り」なのである》(大森[1981:31])と述べる大森荘蔵の〈一元論〉に似ているように思われるかもしれない。大森は《一つの本物の世界(客観的世界)とその十人十色の写し(主観的世界像)》[ibid.:29]という構図を批判している点で、本稿と立場を同じくしているといえる。だが、大森の〈一元論〉がその「外部」を想定していない以上、それは本稿の批判する〈独我論〉でしかない。たとえば《私が東京駅を思い出しているとき、私は東京駅の痕跡を通じて東京駅を思い出しているのではない。私は東京駅それ自身をじかに思い出しているのである》[ibid.:23]というとき、想起から「東京駅それ自身」は実は棄却されている。もちろん「東京駅それ自身」を、本質的客観的実体として想定してしまっては、本稿も大森もともに批判している世界観に逆戻りしてしまうが。

2 経済学者の村上泰亮は、第3回SSM調査(75年)のデータから日本社会は「継承性も地位の一貫性も弱い」という結論を出し、高度成長後の日本社会を「新中間大衆」社会として描き出した。しかし佐藤俊樹[2000:108-109]によれば、《これを日本社会の現実に即した測り方にかえると、85年以降継承性は強まっており、95年調査時点の40~59歳男性ではむしろ戦前に近づいている》ことが実証的に示せるという。佐藤によれば、測り方の問題自体はテクニカルにはわかっていたにもかかわらずそこに村上が突っ込まなかった理由は、75年前後では「もはや明確な階層がない」というのが当時の了解であり、リアルだったからである。したがって佐藤による95年の実証は、階層のない「中間大衆社会」というイメージがリアルでなくなってきたことから導かれたものであるのといえよう。

3 このシステムの作動メカニズムを〈オートポイエーシス〉とよぶ。ただし、生物学者フランシスコ・ヴァレラはルーマンの仮定はむしろ〈作動的閉鎖性〉の一種であって、オートポイエーシスの構想にそのまま当てはまるものではないとしている(Varela[1999:86-7])。

4 柏崎正雄は以下の7つに整理している(ヴィンセント他[1997 :202])。(1)参加者はみな同性愛者であること、(2)比較的近い年令集団をつくること、(3)プライバシーが保護されていること、(4)正確な知識や情報の普及が行われていること、(5)定期的に話す場として確保されていること、(6)性的関係を斡旋しないこと、(7)ゲイとして自己肯定できる議論を行う場であること。